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祭神について

 

阿蘇神社12柱以外の祭神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)、神武天皇(ジンムテンノウ)、神八井耳命(カムヤイミミノミコト)について概要と古事記での内容等にそれぞれまとめてみました。

天照大御神は、日本神話に登場する神です。皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされています。『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されています。

天岩戸の神隠れで有名であり、記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされます。信仰の対象、土地の祭神とされる場所は伊勢神宮が特に有名です。

 

死者の国から帰還した伊耶那岐命が、禊をすると、さまざまな神が生まれ、最後に、天照大御神、月読命、建速須佐之男命が生まれました。伊耶那岐は、三神にそれぞれ高天原(天上の国)、夜の国、海原を治めよと命じます。しかし、死んだ母に会いたい須佐之男は、泣くばかりで父の命令を聞かずに怒りを買い、葦原中国(地上の国)を追放されてしまいました。姉の天照を訪ねた須佐之男は、うけいをして邪心のないことを述べますが、高天原でも悪行をはたらきます。それを恐れた天照は天の石屋に閉じこもり、世界は闇に閉ざされてしまいました。そこで天照を外に出すための方法を八百万の神々は相談します。そして天宇受売命は激しく踊り、それを見た神々が大声で笑うと、騒ぎが気になった天照は顔をのぞかせます。そこで、怪力の天手力男神が天照の手を取って外へ引き出し、世界に光が戻りました。

神八井耳命(生年不詳 - 綏靖天皇4年4月)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。

初代神武天皇の皇子、第2代綏靖天皇の同母兄で、多臣(多氏)及びその同族の祖とされます。

 

左記の神武天皇は神八井耳命の父君にあたります。天皇が日向から大和に入ろうとされたことについて、古事記という書物では、中っ巻一、神武天皇「東征」のところに書かれています。

ある日、七人のおとめが大和の高佐士野であそんでいる時に、神の御子である富登多多良伊須須岐比売命が混じっていました。

そこで、大久米命が歌で天皇に申し上げました。

大和の国の高佐士野で七人のおとめが遊んでいるあの中のだれを妻にえらばれます。

倭の 高佐士野を七行く 媛女ども誰をしまかむ。

天皇はみなの先頭にいるおとめを妻にしたいのです かつがつも いや先立てる 愛をしまかむと、やはり歌で答えられ、妻になってほしい気持ちを示されました。

大久米命は、そのことを比売にお話し比売もお受けしたのです。

伊須気余理比売と天皇は結婚され、やがて御子が次々にお生まれになりました。

彦八井命、神八井耳命、神沼河耳命の三方です。彦八井命は神八井耳命の兄君、神沼河耳命は弟君になられるわけです。神沼河耳命は後の綏靖天皇です。

末の弟である神沼河耳命が次の天皇となられたのはなぜでしょう。それは、「多芸志美美命の変」に関して神沼河耳命の働きが大きかったからでした。三人の兄弟の他に母のちがう兄がいました。多芸志美美命です。                                         神武天皇がなくなられると、兄の多芸志美美命は三人の弟たちを殺す事を企てていました。そのことを母から知らされた三人のうち、末の弟である神沼河耳命が多芸志美美命を滅ばしたのです。

神八井耳命は末の弟に国を治めるようにと言い、「私はあなたを助けて祭りを行う人としてお仕えしましょう。」と申したのです。

神彦八井命は茨の連、手島の連の祖先となりました。

神八井耳命は意富の臣、小子部の連、坂合部の連、火の君、大分の君、筑紫三家の連の祖先です。健磐龍命は神八井耳命の子

神沼河耳命は全国を治められることになり神武天皇の後を継いで綬晴天皇となられました。

 

神武天皇(庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)は、日本神話に登場する人物であり、古事記、日本書紀によれば、日本の初代天皇とされています。

日本書紀によると、天皇在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日 - 神武天皇76年3月11日とされます。

『古事記』では神倭伊波礼琵古命と称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊、始馭天下之天皇、若御毛沼命、狹野尊、彦火火出見と称されます。

 

高天原を治める天照大御神の子孫である神倭伊波礼毘古(のちの神武天皇)は、日向(宮崎)の高千穂宮で、世の中をうまく治めるために東へ行こうといって、豊国(大分)、筑紫(福岡)、阿岐国(広島)、吉備(岡山)を経て、海路で浪速(大阪)に上陸します。そこで、登美能那賀須泥毘古に敗北してしまい、兄の五瀬命は受けた傷がもとで亡くなります。南へ迂回して紀国(和歌山)の熊野に再度上陸しますが、そこで現れた大熊の毒気に当てられ、一行は、ばたばたと倒れてしまいます。しかし、天照から夢のお告げにより授けられた剣を高倉下が献上すると、皆、正気を取りもどしました。そして道案内の八咫烏に導かれて吉野に入り、現地の反対勢力を倒して、倭の畝火の白檮原宮で初代の神武天皇として即位しました。

 

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